何が何でも被告の利益を守るのか?

■旧住専の回収妨害、弁護士の安田好弘被告に逆転有罪判決

(読売新聞 - 04月23日 14:02)

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080423-OYT1T00430.htm

昨日、安田弁護士の関係した、光市の母子殺人事件に死刑判決が下った。

オウム真理教事件の松本被告の裁判は、安田弁護士が弁護書類を期限内に提出しないため打ち切りにとなった。

そしこの今日の判決である。

共通しているのは安田弁護士が、なりふりかまわず依頼者の利益を確保しようと言う姿勢だ。そして持論(死刑廃止)のために、裁判を不当に引き伸ばしたり、うその供述や偽りの謝罪をさせるなどの活動を繰り返した。

個々の事件での弁護方針については、弁護士としていろいろな戦術が考えられるので、一概に否定は出来ない。しかし、弁護するにあたって、なりふりかまわず被告の利益を優先する、と言うことは、弁護士の独立性から考えると、大きな問題と言わなければならない。

本来の弁護士の役割は、罪を償うにあたって、事実を明らかにし、行過ぎた刑罰が科せられないように、被告の利益を代弁することである。したがって、法を犯してまで被告の利益を優先するのであれば、それは正当な弁護活動とはいえない。

昨日の光市事件判決では、少年の反省の無さを厳しく批判した。しかし、これは少年本人はもちろんだが、そのような弁護方針で裁判に臨んだ、被告弁護団を厳しく指弾したものだと、私は感じた。

弁護士は法律のプロである。彼らがその知識を生かして法を犯すのであれば、正当な弁護活動をする弁護士たちの活動にも、何らかの規制をかけてしまう、きっかけになるかもしれない。

現在、弁護士の増員が図られているが、無秩序な増員の結果弁護士同士の競争が激化し、弁護士としての倫理観を忘れた弁護士が、はびこるようにならないことを祈りたい。

kain

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『後期高齢者医療制度』問題について考える

後期高齢者医療制度で、告知不足による混乱が予想以上に大きな物となっている。

後期高齢者医療制度は約3年前に導入が決定していたが、この制度の導入に関しての広報が、一般にはもちろん対象となる高齢者にもなされていなかったことが、今回の混乱の原因である。

厚生労働省(厚労省)は、10日になって急遽、旧健康保険証でも負担を1割にする臨時措置を打ち出したが、この泥縄ぶりは批判されてしかるべきである。

しかし、混乱は保険料の徴収でも発生しており、『後期高齢医療制度』自体が『円滑に実施できているのか?』と言う疑問符が付いている。

そもそも、後期高齢者医療制度は増え続ける医療費に関して、一部受益者負担の原則を導入、医療費が多くなる後期高齢者に、その一部を負担してもらおうという考えが元になっている。

しかし、現在の経済状況を考えると、この制度自体が数年で破綻することは目に見えている。特に、年金からの徴収に関しては、年金のみで暮らす人にとって今まで以上の負担となる実態がある。

そもそも、高齢者の医療費が増加したことには、急激な少子化による健康保険加入者構成の高齢化も原因の一つである。現在の厚労省がモデルとしている、2030年までの人口構成自体が、すでに少子化のペースを読み誤っており、同様のシステムである介護保険やこの高齢者医療制度の、将来的な負担増はさらに大きくなる可能性がある。

『医療機関に対して、必要な医療という物を適正な価格で提供する、この事で適正な医療費の水準に変えていく』と言う、経済モデルがこの制度の根本となっている。しかし、今回の問題は『年金のみで暮らす世帯が本当に健康保険を支払うだけの余力があるのか?』という視点が欠けていると言わざるを得ない。

もちろん、かつての様な医療費の無駄使いを野放しにさせてはいけない。しかし、改革の目的を忘れ、制度の導入のみを急いだ結果、今回の混乱をもたらしたいる。

つまり、元々の制度の考えでは、『収入がある世帯』というのは自営業や会社役員など、経済的に余裕のある層を想定していた。しかし、制度を煮詰める段階で『不公平だ』『年金も所得』と言う、誤った負担公平論が制度に組み込まれてしまう。実際には負担の出来る所得はどの水準か、また、負担してもらうべき医療水準は、等をしっかりと議論するべきであった。この点では、今になって制度反対・廃止を唱えている、野党の責任も無いとは言えないだろう。

一方、穿った考えだが厚労省自身は、今回の混乱をある程度予測したのではないだろうか。周知期間があるにもかかわらず、それを殆ど行ってこなかった。特に窓口となる地方自治体にも、詳しく説明していないなど、制度の導入に対して円滑に進めようとした跡が見えない。

窓口や徴収が地方にされたことを今回の混乱の原因とし、それらの業務を本庁に戻させようとしているとは考えられないだろうか。

厚労省は、国土交通省(国交省)に次ぐ利権の集まる省庁である。薬害の問題を初め、製薬業界や医師会などとのつながりも強い。このため、各業界への天下りが多く、各団体の意向に沿うような動きの多い省でもある。

今回は、医療費の原資となる年金からの徴収に重きを置き、医療を受ける側に対するケアが全くなされていなかった。この1年は年金の問題がクローズアップされ、その対応に右往左往している。この問題も、年金が誰のためであるのか?と言う視点を忘れ、自己保身のために表面上を取り繕うような対応をした結果が、年金の問題を大きくした。

この点では、数々の問題を引き起こしていながら厚労大臣以下の職員全員が未だに『親方日の丸』あるいは『官尊民卑』の考えから抜け出せていない、と言わなければならない。

その結果厚労省は、社会保険庁改革でも医療費改革でも、政治家に主導権を握られている。それに対する反撃の可能性は考えておかなければならない。

今の日本は、様々な問題がありながらその対応に、明確なビジョンを持ち合わせず、場当たり的に対処する状態になっている。特に小泉政権での急速な改革、その後、負の部分が見えると一気に反動する。これでは、これからの日本社会をどうすべきなのかが、全く見えない。

厚労省は、かつては少子化対策として『エンゼルプラン』を策定。しかし、その後業者との癒着が発覚。介護保険問題でも、同様の案件が報道されていた。

これらは厚労省自体が、『公共事業統括官庁』であることを表している。新たな政策を策定する段階で利権を生み出せる、という面である。その視点で見ると、老人医療費の抑制により、医療報酬を受けられたくなった病院や医師会に配慮した結果が、この後期高齢医療であるように考えられる。

今年導入された、通称『メタボ検診』は少子化により受診数が減っている、定期健康診断を補填する制度とは考えられないだろうか。(ちなみにkainはややメタボ…)

いずれにせよ今回の制度については、支持率低下を心配する与党の思惑もあり、早急な見直しを迫られるであろう。特に年金世帯に関しては、何らかの減免措置がとられると思われる。しかし、この時も、表面だけではなく本質を考えるようにしてもらいたい。

現在、扶養家族とされている老人から徴収すると言うことは、現役世代が負担することと変わりない点、あるいは年金支給額にかかわらず一定額の負担をする点、等々問題点は多く存在する。もっと大きな視点に立つと、諸外国では老人医療が無料あるいは低く抑えられている現状をどう考えるのか、など日本全体の事も考えるべきである。

今の時点で混乱している部分だけを考えるのではなく、全体の医療保険の中で、老人に対する医療をどうまかなっていくのか、と言う点をしっかりと認識した上で議論してもらいたい。

PS.年金からの天引き等と言うことは、55体制下では絶対に不可能だった。昔が良かったと言うつもりはないが、政治の混乱が市民生活の足かせになってきているのではないだろうか。

また、年金という物は、これまで社会を支えてくれた人に、安心して老後を暮らしてもらうためにあったのではないだろうか。天下りで、2・3年つとめれば莫大な退職金をもらえるお役人は、老後の心配等したことが無い、と言うことか…

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kain

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北京オリンピックについて考える

チベットに対する中国の弾圧から、北京オリンピックに対する聖火リレーが

様々な抗議・妨害にあっている。

そもそも2008年のオリンピックはアジア開催が有力とされ、その中でも発展著しい中国は国を挙げての開催誘致活動を行った。その結果見事開催を決定したわけだが、当初から中国の人権問題など開催に向けた問題点が、数々指摘されていた。

特に人権問題と環境問題は中国にとって、諸外国からたびたび指摘を受けながら、対応を後回しにしてきた過去が、現在のチベット問題をきっかけにアメリカや欧米で、対中強硬論者達を勢いづかせている。

今回チベットの暴動に際して、マスコミに対する報道規制も加わり、中国の人権弾圧に対する疑念は深くなっていると言える。

そもそも、中国当局の言う『民族』分断を狙っているという理屈自体が、歴史的には通じない理屈である。古くは春秋戦国の時代から、チベットとは蛮族の地とされ、中国人(漢民族)ではないとされていた。

しかし、共産党政権は豊富な地下資源と、地政学上の優位を獲得するためチベットに対し圧力をかけ、人民解放軍を駐留させチベットの傀儡自治政府をたてて、正当なチベット政権とした。

もちろんチベットの本来の政権は、現在亡命中のダライ・ラマ14世率いる亡命政権であり、宗教上の指導者も兼ねている。だが、中国当局は宗教上の指導者として、新たな指導者となる、パンチェン・ラマを選出し、彼こそがチベット仏教の指導者であるとした。

共産党による思想教育を受けたこの指導者の発言は、基本的に漢民族化を進める物であり、本来のチベット仏教の教えにはそぐわないことが多い。この事が、今回暴動を起こした若い僧侶らの不満の一つとなっている。

チベットに対する弾圧は、中国当局が今までも行っていたが、今年はオリンピックを控え、抗議行動など活発化する可能性が早くから指摘されていた。

その警戒の中で発生した暴動に、中国当局は驚きと脅威を感じたのだろう。厳しい情報統制を、海外のメディアにまで及ぼし、徹底した情報管理を行おうとした。この点では、まずいことを隠そうとする中国当局常套手段であったが、暴動自体を抑えることが出来ず、中国本国に飛び火するという予想外の結果が、事態の深刻さを表している。

一方、海外の人権団体も一斉に中国批判を始めた。その格好のアピール場所となっているのが、『聖火リレー』である。

点火式の時から、欧米の人権団体が抗議活動を実施、今では抗議活動の過激さを競うように、様々な妨害活動を行っている。これに対して、ダライ・ラマは妨害をしないように呼びかけているが、肝心の中国当局が火に油を注ぐような発言を行うため、抗議活動は一向にやむ気配がない。

中国当局の報道官は『オリンピックを利用した抗議活動はするべきではない』と連日強弁するが、言い換えればそれだけ抗議活動の激しさを感じていると言うことだろう。

またオリンピックを利用して、中国の国際的地位をかう率使用としていることも事実であり、オリンピックが政治の道具となっている今、抗議活動を闇雲に批判する中国の姿勢は、国際社会の常識とかけ離れている。

ただし、抗議活動のあり方については問題のある方法も見受けられる。特に聖火ランナーにつかみかかり、成果を奪おうとする映像を見たが

その聖火ランナーは14・5歳の少女であった。

このような暴力一歩手前の妨害行為は、認められるべきではない。つかみかかったりするのであれば、せめて中国の軍当局が送り込んだと言われる『聖火防衛隊』にして欲しい。

オリンピックを楽しみにしている一般の市民、そしてその代表として走る聖火リレーのランナーには怪我などさせないよう、注意してもらいたい。

話を戻して、今回のオリンピックを控え中国が国を挙げて様々な改革委取り組んできたことは、認めなければならないが、同時にオリンピックを開催できると言うことで、中華覇権意識も増長されてきていると言わなければならない。

今年話題になった『ギョーザ問題』等でも、事態を把握する前から中国に原因はないと強弁したことなどは、その現れだろう。

また昨年温家宝主席が訪日した際、外交儀礼を無視して天皇に直接訪中を促すなど、傲慢ともとれる外交スタイルがみられる。これには経済的に発展し、世界経済の牽引車となっている実態と、オリンピック開催によって世界の先進国な仲間入りを実現した自負もあるのだろう。

しかし、国内を見れば沿海部と内陸の経済格差や共産党高官による汚職の蔓延、世界経済に組み込まれながらも、市民の意識が国際的な権利などを無視し続ける風潮など難問山積でもある。

数年前の反日暴動、今回のチベット暴動も中国国内ではきわめて少ない情報しか報道されていない。しかも、その情報も当局に都合の良いように編集された物だけである。

いつも言われていることだが、アメリカを初めとした西側諸国の人権に対する考え方と、中国の考え方は大きく異なっている。また共産党1党支配という政治体制下では、社会の不満による暴動やデモなどが、直接政府批判となることも考えられる。

その前提に立つと、中国での人権という物は共産党指導体制の元で保障される人権と言うことになる。共産党批判や体制批判をするような集団や発言に対しては、当局による取り締まりの対象となるのである。

このような事件が『法輪講』事件である。一種の宗教団体であるが、弱い調子ながらも体制批判を行う集団であったが、その参加者が増えてくると、当局が突然非合法集団として摘発した事件である。

今回のチベット事件でも中国当局はダライ・ラマ一派による先導があったと連日報道している。これはチベット問題を国内向けには、分離独立を企む手段が起こした事件だと思わせたいのであろう。

しかし、上にも書いたとおり、中国の長い歴史上チベットを中国の一部として統一した過去はない。しかし、今日の中国は少数民族を含めた膨大な多民族国家である。この為チベットの独立問題は、ウイグル族などの他の民族運動に繋がる可能性も秘めている。中国当局の強硬姿勢はこのような問題を抱えていることもあるのだろう。

さて、今回のオリンピックに関してであるが、今日の中国が世界に与えている影響を考えると、日本も含めた各国はあまり強硬な姿勢で臨むことは出来ない。また、中国にとっても、これ以上オリンピック前に問題を大きくするつもりは毛頭無いであろう。

日本・韓国など経済的に発展してきたところで、オリンピックを開催。その後国際的に認知される国となって行くという、ひとつの道筋があるのも事実。中国もその道筋を狙っているのであろう。

このオリンピックを気に、いわゆる国際標準に近づくように国内の体制を整える覚悟があるのか?この点はまだまだ疑問の残るところであるが、オリンピック後の体制に変化があることは間違いない。

ただ、人権団体にとっては今が格好のアピール時期でもある。今回は聖火のリレーがまともに行われない異常な事態となっているが、この事に関しては中国当局に一義的な責任がある。しかし、開催を決めたIOC、ここ数年中国との経済的結び付き重視するあまり、人権問題を棚上げにした欧米各国も責任の一端を担っていることを忘れないで欲しい。

ただ、今回の事件で中国が抱えるチベット問題が広く世界中に知れ渡ったことが、この問題の解決に向けた一歩を踏み出す機会になるのではないだろうか。

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kain

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日銀総裁問題について考える

日本銀行の総裁問題が、混迷を続けている。

サブ・プライム問題を初め世界経済の混乱が続く中で、日本の中央銀行総裁の空席という異例の事態となっていた。

事の発端は前川前総裁の後任に財務省(旧大蔵省)出身者を就任させたい政府与党と、財政と金融の分離を進めたい野党・民主党の意地の張り合いである。ここに、ねじれ国会による与野党対立の激化が加わり、日銀の総裁空席という事態を招くに至った。

元々、前川総裁の任期切れはすでに確定していたので、空席の事態となったことは与野党共に強く反省する必要がある。しかし、この問題は今回任期が切れたと言うだけの表面的な問題ではない。

元々、日銀は政府からの独立が非常に重視されるべき組織である。これは戦前の金融政策が国策に左右されたことを反省し、自主独立で金融政策を実施することが日銀の目的だからである。

しかし、日銀の歴史は、政府からの干渉の歴史でもある。古くはオイルショック時の国債引き受け問題や最近では日銀による銀行救済策の策定など、時の政権に都合良く利用されている面がある。一方でバブル時代には、独自の金融政策を実施『日銀の鬼平』と呼ばれた三重野総裁の下、バブル収束への舵を切る原動力となってもいる。

世界的に見ると、政府と中央銀行は密接に協力して財・金の連携を図る傾向は強まっている。しかし、それは中央銀行総裁の経済分析と、政府の経済分析がある程度一致している場合である。

日本では政府の経済分析が、政権の状況に左右されることが多く表面的には協調と言いながら実態では、政府が日銀を従わせようとする傾向が強い。この為日銀の世界経済における地位は、日本の経済規模に比べて大変低く、金融政策の国際協調に際しても、日銀の意向が無視あるいは軽視されている。

そのような日銀内において大きな問題となっているのが、今回もめている総裁人事である。ここ2代は日銀出身者が総裁となっているが、これは大蔵省の接待疑惑などで、財務省出身者の総裁就任を自粛せざるを得なかったという事情がある。その為、財務省は今回の総裁人事で財務省出身者の総裁就任を画策していた。

結果はご存じの通りだともうが、参議院では白川副総裁のみ同意し財務省出身の2名は不同意となった。

この時点から政府の迷走が始まる。日銀の総裁は、国会の同意人事である以上、政府与党が『良』としても、参議院の過半数を握る野党の同意がなければ成立しない。

にもかかわらず、2度目の人事案でも財務省出身者を提案、もちろんこれは不同意。

民主党は財・金分離を強く言い出したのも、この時期である。

政府はこの野党の要求を知りながら3度目の人事案で、副総裁に財務省出身者を提案した。これは総裁・副総裁2名の計3名のうち、一つは財務相のポストとし、次回には副総裁から総裁への昇格で、総裁ポストを獲得しようとする意図が明らかである。

このように日銀に対する政府(あるいは財務省)のポスト欲は異常なまでに強い。これは経済運営に財務省・日銀の連携(あるいは一体化)が不可欠と考えているのが原因である。

さて、それではこれまではどうだったか。実は日銀はかなり政府との連携を図っていた。特に金利に関しては政府に引きずられる様に低金利政策を実施し、政府の国債発行コストを引き下げる要因となった

一方で、金利の低下は市民生活を直撃し、格差や高齢化社会の問題などが表面化した。この際に、日銀に対して金利の引き上げ圧力が高まったが、政府の強い『要請』があり、先送りする事態が続いた。

今回民主党が日銀の独立性を強く主張するようになったのは、この辺がポイントではないだろうか。

サブ・プライム問題が発覚したことで、その現況は、日本の低金利が世界的な資金需要を呼び起こし、一種のバブルを発生させていたこと、そしてその結果アメリカの住宅市場からあふれた資金が、石油や食物に流れ価格が高騰する原因となったことなどが、連日の報道でも明らかになった。

しかし、世界経済が混乱した今となっては、日銀による金融引き締めは不可能に近い状況となっている。今、金融引締め策をとれば、アメリカ経済や巨額のファンド資金に大打撃となり、いっそうの混乱に拍車がかかる。さらにオイル市場の混乱は中東での、政治不安をいっそう助長する可能性も見過ごせない。

従って、日銀としては引き下げ圧力をかわしつつ、今の金利水準を出来るだけ維持するしかない、手詰まり状況に近い状態である。ここ数年のうちに必要な金利引き上げなど行っていれば、もう少し金融政策面からの手も打てた可能性は高かった。

このように、政府の意向に沿いすぎると金融政策の観点からも問題が多く、また、場合によっては政府の無理な政策を後押しさせられ、その付けをおわされる可能性すらある。(バブル後の不況については、日銀の金融政策のせいであるという国会議員や財界人は多い)

さて、それでは今回の問題に関してはどうか。一部マスコミでは『民主党が同意しないのがおかしい』などというコメントを聞くが、国民生活を盾に取り無理を通そうとしているのは政府・与党である。国民の生活を考えれば、今ここで財政と金融の分離をしっかりとした物にしておかなければ、これから訪れるサブ・プライムバブル処理の問題に機動的に対処でき無い可能性がある。

また、民主党は早い段階から財務省出身者については『同意しない』と言っており、この主張にブレがないことから、政府の提案する人事案に問題があったことは明白である。しかも、この問題を初めにこじらせた原因は、与党による衆議院における2月末の強行採決が原因である。お互いに話し合いで進めるという前提を、野党に対する不信感から与党が強行採決を実行。これ以後、野党にとっては協議をすること自体が『政府与党に妥協することになる』という雰囲気となってしまった。

確かに、今日・明日の問題としてしか捕らえないのであれば、G7の近づいているという理由も有り、速やかに総裁を決定すべきだろう。しかし、これからの日本を考える場合には果たしてそれで良いのだろうか。政府財政当局と連携をすることと、従属をすることが全く別物であることに、一部のマスコミは気づいて無いのではないだろうか?

それとも、放送免許の更新などで脅された過去が、トラウマとなっているのではないか。

とにかく、今回は与野党大激突という中で、日銀のあり方について政府からの独立をどう担保するのか、と言う問題が大きく取り上げられたことは、これからの日本経済にとっては実りある物だと思う。

さらに踏み込んで、日銀とはどうあるべきか?日銀総裁にふさわしい人物の資質は?等も議論されれば、より効果的であったと思うが、そこまで一気に進むのは無理だったと言うことだと思う。

いずれにせよ、事がここまでこじれた以上、何らかの妥協は必要があるだろうが、日銀にとって大切な事はなにか、と言う点を忘れないようにして、与野党とも妥協点を探って欲しい。

kain

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映画『靖国』事件について考える

今話題になっている映画で『靖国/YASUKUNI』という作品がある。

かなりの映画好きになれば、ベルリン映画祭&香港映画祭で賞を取ったと言うことは知っているだろう。

しかし、一般の人にとってこの作品を知ったのは、最近のニュースとしてだと思う。

●「靖国」上映中止、新聞労連などが抗議声明

http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/yomiuri-20080407-00608/1.htm

●<映画「靖国」>上映中止で抗議 民放労連

http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/mainichi-2008040800m025/1.htm

●『靖国』が上映決定!支援ぞくぞくと…5月から全国で順次公開

http://news.nifty.com/cs/entame/moviedetail/cnmtoday-N0013435/1.htm

さて、今回の事件は『右翼』と称する連中が、映画館の前で『街宣』と称する、暴力行為に及んだ結果である。彼等は、『街宣』活動も表現の自由の上で認められると称しているが、であれば、たとえ反日的な映画や意見でも、表現や公開の自由が認められるべきである。

また、今回の場合、映画館側は警察に通報しているが、日本の警察は基本的に右翼に対して取り締まることが無く、今回も騒音を馬鹿でかい音を鳴らしているにもかかわらず、『この程度では取り締まれない』として、何も行わなかった。

実はこの問題がこのように大きくなったのは、この事件の前の一件が引き金である。それは国会議員・稲田朋美による『検閲』まがいの、試写会の開催要求だ。

文化庁の支援金が使われていることを理由に、公開前の作品を稲田朋美が試写を要求し、制作/配給会社が試写会を開いたという物だ。開催を主張した稲田朋美は、『公開を差し止めるつもりはなく、検閲には当たらない』と発言しているが、試写後の発言では、反日的な表現があったことを臭わせるなど、明らかな圧力を感じさせた。

また、同じように渡海文部科学相も、ポスターやスタッフロールの文化庁の表現についてクレームをつけるなど、明らかな『検閲』後の対応を示した。

『公開を取りやめるようなことはしないで欲しい』とは件の稲田朋美の発言であるが、であるならば自身が映画館の前に立ち、エセ『右翼』の街宣車を排除するくらいのことを行うべきではないのか?

かつて、三島由紀夫は市ヶ谷の駐屯地で自衛隊に決起を促したとき、従う自衛官はいなかった。自らの過ちを知った三島の取った結末は、その行動は別として、潔いと言うことでは万人が認めるだろう。

決して、自分の意見に従わないからと言って他人を傷つけたりすることを彼は選ばなかった。そして自らの間違いは自分で償ったのだ。

今回、試写を要求した連中はこの結果に対してどの様に報いるつもりか、またエセ『右翼』の連中は、自らは表現の自由と言いながら、他者の表現の自由を侵す、この愚かさに気づけないのは、哀れみを感じるしかない。

しかし、この問題は一個人や政治団体の問題ではない。

同様な事件で、日教組の教研集会をプリンスホテルが、旅館業法に違反してまで拒否したことと合わせると、この国が表現の自由に関して本当に自由であるのかと言うことに疑問を感じる。

憲法においては、公共の福祉に反しない限り保証されるとなっているが、今回の問題や日教組の問題を考えると、国家権力によって恣意的に『公共の福祉』が制限されているのではないだろうか。

皆さんはエセ『右翼』の街宣車をどう思うだろうか?

少なくても、あの大音量は『公共の福祉』に反しているのではないだろうか?

また、街宣車に使われている車は、きちんと整備されているとお思いだろうか?

陸運支局に行けば、その真相が分かります。何故か構成員が、刑務所から出る組長を迎える様に勢揃いして、支局にいます。

このように日本の警察当局は『右翼』と称する連中には弱腰である。と言うより、見逃しているのである。しかし、真の『右翼』と言うべき人は、決してあのような街宣車を使った活動で、企業や個人を攻撃したりしない。

私個人としては、今回の件でエセ『右翼』達が映画関係から何らかの不当利得を得ようと画策しているのではないかと考えている。

話がそれましたが、このように表現の自由を、当局が都合の良いように制限する道具として、『右翼』の街宣活動を利用している側面が感じられます。

たとえば、愛国的作品を上映しようとして、『左翼』が抗議活動をしたらどうなるでしょう。おそらく公安部は写真を手当たり次第に撮影し、メンバをリストアップ。デモの時以外でも些細な違反で参加者を不当に拘束(逮捕ではない)するでしょう。

今、日本は保守化が進んでいると言います。しかし、本当に保守化というのであれば、表現の自由も保障されていなければおかしいはずです。なぜなら、何を持って『保守』、何を持って『革新』、とする基準を明確にする必要があるのですから。今進んでいるのは、保守化と称した言論弾圧、あるいは言論封じではないでしょうか。

愛国的でなければ、意見も言わせない。日本を批判するような意見はあらゆるメディアから排斥する。これではまるで北朝鮮か中国と同じではないか。

保守色の強いアメリカで、強硬な保守派の一人として有名な人物にクリント・イーストウッド氏が上げられる。自らを愛国者(PATRIOT)と称するが、決して国家を批判しないと言うことではない、と彼は言う。戦争時における『国家の欺瞞』に疑問を感じた彼が、その思いを込めて製作したのが『父親達の星条旗』である。

私は愛国者であればこそ、『現在・過去の過ちを見過ごしてはいけない。指摘し正していかなければならない。そうしなければ、これからの未来で間違った方向に国が向かってしまう』、と言いたい。反対する意見を封じ込めようとするのは、あるいはそれが事実で、そのことを隠そうとしているからではないのか。そうでなければ堂々と議論をし、論破すればいいのです。騒音を鳴らし、脅迫まがいこのとをすることに、ひとかけらの正義も有りはしない。臆病者が虚勢を張っているだけである。

今回『靖国/YASUKUNI』が公開が中止されたことは、一部の海外メディアでも取り上げられています。『日本は比較的表現の自由が保障された国でしたが…』と言う切り口が多いようです。

このような事がこれから多くなるのか、それとも間違いを正すことが出来るのか、市民の選択が問われているのではないでしょうか。

この国を正すことが出来るのは、有権者一人一人であり、その総意を持って、この国の指針となるはずです。

そして『靖国/YASUKUNI』を是非劇場で見ましょう。見た上でどのように感じるか、それについて意見を交わすことこそが大切なのではないでしょうか。

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kain

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